はるかの日記

統合失調症の闘病日記。病気だけど明るく生きていく方法を模索中!

諸外国での精神疾患の捉え方の違い

【イタリアの精神科改革とアメリカの価値観の話】

🇮🇹

イタリアでは、1978年から1998年まで精神科の改革が行われ、病院から精神科がなくなった。

目から鱗のようなこの実話は映画にもなっている。精神病を持つ人が社会のコミュニティーの中で生活することが重要視された結果、それが現実となったことは今でも私の希望です。精神的に疲れてしまった人には一時的に休憩する場所が設けられており、元気になったらいつでも家に帰ることができるそうです。

🇺🇸

一方、アメリカでは、カウンセラーに話を聞いてもらうことで問題を解決することが日本よりも比較的安い価格でできるそうです。

写真のこの本は、10年前のアメリカ発の認知行動療法”ACT療法”についての本。

人間が生きる上で辛いことが起こるのは必然であり、それによる心身の不調もまた必然である。哲学的な要素が強いが、日常生活に活かせることが多い。

ACTの原則...

①不安を取り除くこと

②自分の中の嬉しくない感情を認める心の余裕を作ることで、あまり気にならなくなり、より早く前に進むことができる

③今を生きること

④自己を顧みること

⑤自分の価値を分析して、人生を意味のあるものにすること

⑥何度失敗し、道を踏み外してもいいから、自分の価値観に傾倒した行動をとること

 


などなど...人生における教訓や考え方がたくさん載っています。医療の本なのに、日本の宗教やスピリチュアル業界で言われていることに近いものを感じるのは私だけでしょうか?

🇯🇵

精神科や心療内科の患者は増えに増え419.3万人と言われている。今や5-10分で診察して薬を処方するコンビニ診療が問題となっているが、実際には病院の特性と方針によって、診察の充実度が違うので、患者側にも病院を決める選択肢がある。

公的な制度としては...

①”自立支援”という精神科の医療費が1割負担になる制度

②”障害者年金”という精神疾患が生活に支障がある人には、審査が通れば月々年金が支払われる制度がある。

その他、地方自治体によって受けられるサービスが異なっている。

就労移行支援事業所などを利用して、精神疾患の患者が就職を目指す環境も整備されており、年々増加傾向にある。

ただ、薬を服用しながらの日常生活は相当な心身への負担があると実感した。

学校や会社を休むためには、医師の診断書が必要で、そのために精神科を受診する責任があるというシステムにも問題があるように感じる。根本的な問題として、診断書を求めるその学校や会社の生活環境や労働環境は適切なのでしょうか?会社の診断書こそ必要なのでは?

 


日本の経済を回すためにも、精神科の患者の就労はもっと期待されていい。患者増加の医者不足なら、AIで認知行動療法を基にしたカウンセラーアプリの導入を現場でも勧めたり、

方法はなんでもいいから、とにかく人を孤独にさせずに、社会に参加できる希望を持たせること。

それが、オーバーワーク、結婚や離婚、出産、ワンオペ育児、少子高齢化、介護、孤独死増税の全てを乗り越える人たちの支えとなり、問題解決の一助になるかもしれません。 🍀

 

私のInstagram より

@harukawhite

ぜひフォローしてください😊☀️🌸

過呼吸対策

もう本当に幾度となく過呼吸になったので、対策まとめます。

 

まず、無理せず、すぐ横になるか、楽な姿勢になる!

過呼吸で死ぬ人はいないらしいので、そのことは頭にいれておく。

苦しいけど、おさまるのを待つ。

 

 

☆周囲への説明の仕方

たまに過呼吸になるが死なないことを説明する

例えば...

背中さすってもらえたら嬉しいこと

構わないで欲しいこと

過呼吸になりそうな時に人に見られない場所に隠れるが心配しなくても大丈夫なこと

薬を飲んでも過呼吸は治らないこと

など、自分の希望も伝えるとわかりやすい。

 

 

同じ症状の人たちにアドバイス

 

過呼吸を経験したことのない人は驚いてしまうことが多いので、説明することでお互いに気持ちよく過ごすことができると思います。

相手の疑問にもわかる範囲でちゃんと答えましょう!

恥ずかしがらなくても、あなたのことを大切に思ってくれる人なら、絶対に馬鹿にしたりせず、話を聞いてくれるはずです。

大丈夫。優しい言葉でお互い話してみましょう!

 

 

 

 

 

障害は個性か

障害は個性だと励まされたことがありました。

 

本当に本当に怒り狂って、こんなに私を苦しませるこの病気は個性じゃないよと説明しました。

そんな明るいものではないの、この病名で私は労働を禁止されていたと。

 

 

そのあと、その心底クレイジーな彼は、はるははるだよって言ってました。

それは少し嬉しかった。

障害を持ったひとりだけれど、私は私なんだって初めて気がつきました。

 

それまでは病気を治すことを必死に頑張って、統合失調症の研究結果のニュースを見て、薬の情報を見て、海外のサイトと比較して、予後を予測して生活して、統合失調症患者として自分を見ていました。

 

そればっかり見つめて、自分のその他の魅力に全く気がつかなかったです。

 

 

 

 

寛解後に恋人ができましたが、とても変わった人です。

彼は、統合失調症患者が短所と言われているのを、全部長所のように変換する能力があります。

たとえば、

嘘をつけない→正直

疲れやすく、根気がない→人を頼ることができる、状況を説明できる

迷う→真剣に考えている

融通がきかない→自分に自信を持っている

理想ばかり追っている→理想に向かって行動している

自分のポリシーに反する仕事はできない→過去に執着せず、自分の今を生きようとしている。すぐに行動する力がある。

マイナーな生き方をしている、多数派と同じことができない→気にしない力が強い

 

(↑長所に変換されて少し誇張表現もあるかもしれないです。お許しを。)

 

よく笑うことも、努力していることも認めてくれました。

そして、努力し続ける姿はきっと1番美しいのだと言ってくれました。

 

 

そう考えたら、私たち統合失調症患者も一人の人間であり、一人一人素晴らしい魅力を持っているのかもしれません。そして、それはいい意味で誰かを励ましたり、幸せにするのかもしれません。

障害は個性というのは、そういう意味なのかもしれないな、とやっとこさ気づいてきました。

 

統合失調症という経験は、必ずしもいいものばかりではないです。だからといって、自分を病名で当てはめて、落ち込む必要はないのですね。

大丈夫。これからの人生、ぐっと堪えれます。

自分の素晴らしさももっともっと伸ばしていけるし、楽しむことも、苦しんで泣くこともできます。

その時、そばに誰もいないかもしれない。

でも、ちゃんと自分がいることを忘れずにいたいです。

労働力としての葛藤

私の体調には波があります。

吐き気が突然やってきたり、熱が出たり、体が動かないほどだるい時もあります。その時々で、一喜一憂するのではなく受け入れることもだんだんできるようになりました。

 

労働力には向いていないと、自分でちゃんと気づいています。

 

せめて、人の言葉はしっかり耳を傾けようと反省しました。私も大変だけれど、私の労働力が足りないせいで苦しい思いをしている人がいるんだと。

 

きっと皆こう思うはず。

自己管理不足じゃないか?

甘えじゃないか?

皆頑張ってるのに、一人だけずるくないか?

 

...ごめんなさい。

もう何万回とこういう声を聞きました。

でも、働かせてもらえるだけで本当にありがたいと思います。求められる労働力に達しない時は素直に相談したりして、理解してくださる方もいます。でも、理解できない人もいます。

 

2月に寛解になり、家族がそれを求めてきました。実は、寛解してから、私は本当の意味で統合失調症という経験について深く考えて体調が優れず、悩んだ末に、病気を公表していくことにしました。

 

皆、言葉のイメージで話してしまう。

大事なのは言葉ではなく、

その一人一人が今どういう状態であるか

何に苦しんでるか

どうしたら解決できるか

を観察することなのだと思います。

 

 

 

労働力として働くには、周りを明るくすることが自分を助けてくれることがありました。

私が倒れて動けなくなる時、優しい人が現れて、女神のように助けてくれることがあります!その人たちは私を、単に労働力や統合失調症の患者ではなく「はるか」として見てくれているのだとわかりました。

 

 

 

一人一人違った状態での生活があり、周りの人は自分と比べて、甘えだと言うことがあるかも知れません。

 

ただ皆が皆に自分の状態を理解してもらう必要はないのだと思います。

そして、彼らが理解がないことに対して、理解すること。恨んだりせず、淡々と日本社会は今そう言う状況だから仕方ないと受け入れて、謝ること。

 

自分の心と身体を守ることで毎日必死で、少しずつ受け入れて落ち着いてきました。笑

 

言葉の中で生きているのが人間なので、仕方ないことですね。

 

でも、労働力がないからと責められて、腐る必要はないと思います。しっかりと自分自身も波を見つめて、対処してます。自分の長所やその他の能力が消されるわけではありません。

臆せず生きてしまいましょう。笑

 

まだまだ社会の無理解は続くから、せめてもの楽しみを見つけて、笑っていかないとね。

 

 

先程の投稿、訂正や!!!

気づいたことは医師も人間。

色んな考えを持っており、時には科学のルールを無視して信念に向かって助けようとする人もいる。

批判結構、論破上等、かかってこいや

という余裕の笑顔をみせている人もいる。

 

面白い!

だから、私たち患者自身も、医師だから、科学だからとか、括りにしてはいけないのだな。

 

もっと自分の感じていること伝えて、会話して、先生たちの考え方や信念も知ろうとしていいのかもしれない。

患者の私が理解しなければいけないこと

私を含め、精神科の医師や医療に対して疑問を持ってしまうのは、私達患者の生活が未だにしんどいからです。

頑張っても頑張っても身体が思うように動かない。いくら前向きに思っても、しんどいもんはしんどい!

 

 

医師は、推奨されているガイドラインや新たな論文に従って患者の生活をよりよくしてくれます。日々医師も研究をしています。

 

私の記録では統合失調症の原因に関しては、

5年前はドパミン仮説が主流でした。

その後、セロトニン、そしてグルタミン酸、様々な仮説が提唱されています。

 

他にも沢山の研究者が統合失調症の原因について日々研究をしています。

 

しかし、それでもまだ、統合失調症については明確な原因がわかっておらず、手探りで治療をしている状態です。脳やホルモン、薬についてはわかっていないことが多いのです。

 

だからといって、医師たちが患者を馬鹿にしているわけではなく、ほとんどの医師たちはその知恵と行動力と体力を尽くして、私達に最善を尽くしてくれます。

 

例えば、

ある医師はどれだけ恐ろしい内容の幻聴について私が話しても、どの医師も必ず諦めないで治療をしてくれました。いつも笑顔で接して、私のストレスを解消する方法を考えてくれました。

 

ある医師は、患者を多く抱えていて、一人にかける診察は5-15分くらい。それでも、診察の終わりにはいつも笑顔で前向きな言葉をかけてくれました。

 

ある医師は、とても変わった人で、私に統合失調症についての本を貸してくれて、考える力を信じてくれました。科学的に証明されていること、されていないことがあるけれど、彼は一番に私が日常生活を送って行くことを考えてくれました。

 

自分の中のストレスを調整していくのは、誰にとっても困難です。

特に、日々メディアでは精神疾患の悪いイメージについての誤解を助長していたり、薬についても副作用の不確かな情報で溢れています。

 

社会にとっては生産性が低い存在なので、時々隠れたくなります。(笑)皆さんに謝って歩きたいくらいです!

 

だから、どんなことがあっても笑顔だけは忘れずにいよう!!!と思うけれども、それすらうざがられてしまう時もあります。(笑)

人に優しくしようと思っても、優しさが過剰に見える時もあります。(笑)

 

何をしても、生産性は低くなってしまう。。。(笑)

 

でも、その生産性を求めてくるのは社会。

 

私は社会の仕組みや構造、制度や法律、その中における患者の存在や医師の義務や使命、科学の在り方を理解しなければならないと思いました。まだ寛解したと言われて1ヶ月ですが、少しずつ学ぼうと思います。

 

統合失調症がストレスについて日々深く考えるきっかけになり、価値観を変えます。それは、やがて時代を作り、科学を変えるデータの蓄積につながるかもしれません。私達が生き続けること、希望を持ちつづけることは、定説や常識、世間の見方を変えていくことでしょう。その道のりで、医師の協力と医師との信頼関係は、不可欠だと感じています。

 

統合失調症の診断=人生終わり   という時代を私達が生き続けることで変えていきましょう!

 

 

いつもブログを読んでくださる皆さん、ありがとう。

私が辛さを共有しても、前向きな言葉をかけてくれる人がいることは、これまでもこれからも私の自信です。

 

これからも落ち込んだりしながら、前向きに楽しみを見つけていきましょう〜!

大丈夫。

いい方向に進んでいくと信じて、おこがましくも自信を持って生きましょうね☺︎♬〜