障害を持つと、少しばかり苦労や偏見の中で生きていく必要がある。
現実問題、それは仕方ないことなのだ。
それならば、問題解決のための障害であってくれと強く祈る。
皆、この厳しい道を歩いていかなければならないのだ。現実として、障害は、たまに人間の素晴らしさを打ち消すようなラベルになってしまい、自分からも人からもどんどんどんどん人間の醜い部分を知るのだ。そんな辛い思いをするから、成長できると思えばそれまでだ。
物質主義の生産性の中で、切り落とされた障害というラベルならば、これほどまでに社会として恥ずかしい価値観だ。
問題解決のための障害であるならば、
一概に障害について決めつけることは、却って障害を持つ人を苦しめるのではないだろうか。
一人一人違う。多様性があっていい。
個々人の障害に合わせて、困っている人の問題解決をするべきでしょう。
それならば、一番の問題は、障害者全体に対するメディアの報道の在り方だ。
これからこの状況は続き、もっと精神的に苦しくなる人が増えるかもしれない。
大丈夫。どうにかして、どうにかして、安らぎを見つけてほしい。強さも弱さも、人や自分の厳しい心が決めることなので、自分の価値を必要以上に下げないでほしい。