妊娠したことで、人生には幸せな瞬間があっていいのだと思うことができました。
病気で薬を飲んでいた頃は、子どもをもつことや育てることを諦めていました。
寛解してもなお、自分には症状がでてくるという観念が消えず、なかなか子どもを育てる勇気がありませんでした。
ある時、赤ちゃんが私の腕の中で眠ったことをきっかけに、当時の彼氏で今の旦那さんが、「はるかなら、ちゃんと子どもを育てられそうだ」と思ったよ。と、言ってくれ、そこで再発の可能性がでてくるかもしれないという観念から解放されました。
そう言われて、涙が出るほど嬉しかったのを、今でも覚えています。
私が子どもを持つことを長いこと諦めていたのは、統合失調症の患者に対する世間の声は依然として厳しいという現実があります。
ネットではよく精神疾患を持つ人を一括りにして、
"精神疾患があるのに子どもを持つなんて、症状が悪化した時のリスクを考えると、無責任だ"
と、書かれていることもあります。
昔お付き合いしていた方からも、
「若いうちに子どもが欲しいので、別れて欲しい」と、言われたことも覚えています。
これらの意見は、子どもを欲しい精神疾患の患者に対して本質的な解決へと導く意見ではなく、ただ単に精神疾患に対する印象や古い研究結果が生み出したものかもしれません。
精神疾患の患者にとって大切なのは、
子どもを持つことへの責任を問うて、持つか持たないかの2択にするのではなく、
・それぞれの患者の精神疾患の原因を根本的に見つめ直し、症状をコントロールする術を身につけること
・生活環境の改善
・薬の調整
・再発防止のための考え方を少しずつ知ること
・社会参加
なのではないかと、考えています。
これらは本当に治療の基本的なことかもしれません。
こういう基本的なことが大切であるからこそ、患者が治らないと感じたら積極的にセカンドオピニオンを受診した方が将来の可能性は広がりますし、患者側からの話を聞き、解決に努めてくれる病院やクリニックは多いに助けてくれるのではないかと思います。
社会全体で、そういう希望のある考えで、患者さんの生活を支えられたらいいですね。
寛解するという選択肢があるということを若い私は目指していたのに、現実感のない夢だと思っていました。
でも、きっと少しずつ少しずつ、自分を知るための時間を過ごせば、だんだんと希望が持てるのかもしれません。
人生は辛いのが当たり前。
と、思っていたのですが、
自分にもこんなに幸せな環境が与えられ、生きていて楽しい!
と思うことがあります。
もちろん、価値観や環境は変化していくものなので、その時々の辛さはあるでしょう。
それでも、自分が自分を大切にして生きれることに勝る幸せがあり、そんな時を過ごせたという充実感は、病気や薬の副作用を経験したからこそ得られたものだと今思います。
闘病はかなり辛く、若干のトラウマがありますが、そんな痛みがあることを心に留めて置くと、生きるための強さになりますね。
優しくいたいです。
優しいというのは、本当の意味で解決をもたらす思考のできる人間でいたいという意味です。
今困っている人たちが、寛解に向かって動けますように。願っています。