はるかの日記

統合失調症の闘病日記。病気だけど明るく生きていく方法を模索中!

心の糸が切れた

張り詰めていた糸をピンと張らせることで、歩き続けてこれたけど、もういいやってなった。

 

何のためにこんなに歩き続けているのかわからなくなる。無理無理。もう頑張らなくていくない?

結婚したい気持ち、子供を産んで母になりたい気持ちがあったから、頑張れて来れたんだ。

 

 

でも、もう疲れたよ。一人きりで頑張るのはちょっと悲しい。

 

病気の治療の新しい試みも

新しい仕事に費やす時間と

貯金がないのに使うのも

たとえ人からの厳しい言葉が愛なのだとしても

もうそれに耐えうるだけの寛容な心を持ち合わせたくない。

 

病気の人と言われずに一人前の社会人として認められたいから頑張ってきたけど、頑張ったところで所詮自分が自分を認めるだけやん。

それでもええんやろか。

 

決意

私は弱音ばかり吐いて

自らが努力を怠っている間に

人の問題点ばかり指摘し

それはとても卑怯ではないか。

 

だから好きな人に好きとも言えぬ。

好きな男を守ってやることすらもできない未熟な女なのだ。

 

私が未熟なばかりに、あなたが私にとって世界一の男なのだと伝えられない。

あなたと食事をしたいと。

それがきっと私にとって一番幸せな瞬間になるのですと。

伝えられない。

伝えたい。

 

だから、頑張ろうと思う。

強くなろうと思う。

人の二倍、三倍、頑張ろう。

そしたら人の二倍、三倍愛することができるのかも。100倍の愛で包んであげたい。

 

明日は自分とその人にお守りを買ってきます。

好きな人に渡そう。

大丈夫だよーって伝えよう。

 

欲しい国家資格が二つあります。

自信を持って好きだと、あなたを守りたいと言えるように頑張ってみます。

統合失調症患者が社会に出てみてわかったこと

お医者さんには3年間以上、あなたは働けないよと言われ、就労を禁止されておりました。

 

そんな中、実家に帰ってきて、仕事を始めてみたら、新しいお医者さんは「あれー始めたんですかー」と笑っていました。

いつも温かく見守ってくださっていました。

 

統合失調症の患者は大体の人が人間不信になっていると思いますが、私もその中の一人でした。

しかし、人の痛みを少しでも自分の過去の苦しみと照らして話を聞くことができるという点で、私は大きな人望を得ました。

 

統合失調症の患者が接客業に就くこと自体、本来ならお医者さんは反対してもおかしくないくらいの今までの理論に反することです。それを理解した上で、それでも接客業について思ったのは、「統合失調症患者が接客業をできない」なんていうことはないということです。たしかに、大変な場面はたくさんあって、幻聴として私の悪口が聞こえることがたくさんあることもありました。しかし、それがリアルな意見ではないとわかったのは、一緒に働いてくださった方達が気づかせてくれたからだったと思います。お客様のことを大切に思う接し方が出来たし、同僚のことを大切に考えて、気持ちよく働けるように言葉をかけていたつもりでした。

 

今回挑戦をしてみて、病気だからといって自分に制限をかける必要はないことを学びました。

 

バスや電車で人が沢山乗っているのが怖かったりして、出勤が遅れたり、吐き気がしながらも出勤したこともありました。社会のルールとして、時間に遅れたりすることはあってはならないことです。それを許容してくださったのは、柔軟性のある会社だったからなのかもしれません。

 

一人の社会人として見られることが、こんなにもありがたいことだと思え、悩めることにさえ感謝できるのは、あの3年間の悔しい思いがあったからだと思うのです。いつも自分が普通の人間ではないことに劣等感を感じながら生きておりましたが、自分に制限をかけないことは可能なのだと思います。

 

自信を持ちすぎて、謙虚さを失わないように、と思っていました。お金がありすぎて、我慢をすることを忘れないようにと思っていました。人がしてくれた愛に溢れた行動に対して感謝の気持ちを忘れないようにと思っていました。

おそらくこのような気持ちは、貴重な経験により私が大切だと気づいた価値観であり、他の人には理解し難いものなのかもしれません。だから、この気持ちを他の人が理解していない行動を見ても、それに影響されずに自分を曲げずにいることができました。

 

私が働いている中で常に考えていた信念はもう一つあります。”常に弱い立場の人のことを考えて、問題を解決するように努めたり、困っている人がいたら物理的にも精神的にも助けたりすること。”

上の立場の人の気持ちも考えてみて?とアドバイスを受けたことがありますが、その経営者だったり上司が本当に会社全体のことを思っての行動をするならば、必ず真理は見えてきます。

弱い立場にいる人や困っている人を助けることを実践できたのは、病気という辛い出来事を経験した上で、社会に出たからだと思います。ただ、それでも会社のルールに従い、お客様ファーストではない発言をしてしまったことがありました。その瞬間、私は人としての心を失ったと自分の行動を、恥じました。笑   仕事を辞めてから、自己を省みた時、もっともっと人の痛みを想像できるようにならなければただの薄っぺらい30代になってしまうと警告しました。

 

私にはまだまだ経験が必要です。

これからまた社会で活躍する経験が必要です。

そして、それは私だけではなく、皆さんにも様々な方法で可能なことです。もし今毎日辛い気持ちで病気の症状と闘っているのなら、決して諦めないで欲しいです。死にたくなるほどの辛い孤独や社会に不必要とされる気持ちに負けないで欲しいです。あなたにはその経験を生かすことのできる可能性があります。そして、あなたのことを認めてくれる人が社会にはたくさんいます。もしパートナーや家族や学校から、理解されなかったとしても、その価値観だけに縛られずに自分を大切に思い直せる場所が社会です。

 

明日身体が動かなくなるかもしれないから、この社会に遺すことのできる私の思いやりだったり愛だったり...形の見えないものを実践しています。そんな大した人間ではないし、いつも自らの甘さを病気のせいにしている弱さを持っているんですが、気持ちだけはいつも大きいのです。笑

 

大丈夫!自分の可能性を信じてみましょう!

久しぶりに涙。

私が人を愛したところで、その人を苦しめるだけかもしれない。

一度病気になってしまったら、そういう運命なのかもしれない。

 

だからこそ、自分が今できることで人を幸せにしたいなあと思う。

 

昔は、愛情に溢れたお母さんになるのが目標で、そうなれるように毎日必死だったけど、体調は悪化するばかりだった。

 

なのに、今は健康な体があって働けている。

男性からセクシーだと思われることも増えた。

それは化粧をしていて、いつも明るい笑顔を見せているから。

 

新しく好きな人ができても、この人の道に私の道を繋げてひとつの道にするのは申し訳ないなという気持ちになる。大切な人を苦しめたくない。

今は症状が出ていなくても、とても大変な道を辿ることになる可能性がある。私の苦しみを一緒に背負わせたくない。私1人で十分だ。

 

こんなに普通の人になりたいと思うのは久しぶりです。普通の人として社会で生きてみたい。

でも、普通の人にはなれないから、普通の人よりもっと努力をして、がんばろう!

 

誰よりも笑顔でいて、人を幸せにしよう。

いいのよ。弱い人間だから強くなるの。

 

幸い、私のことを大切にしてくださる方が沢山いて、嬉しい。私も大切にしようと思う。

そして、見ず知らずの人も、私のことを妬ましく思っている人のことも、同じように大切にしよう。

それでいい。これでいいのだ。

 

1人はしあわせ

私にとって、1人になれる時間がいかに幸せか思い知っています。1人で食べるご飯も、1人で歩くときも、自分のペースで行けるのがとても心地いいです。誰かといるのも幸せだけど、結局自分を愛せるのは自分しかいないのです。

だから、しあわせ。

 

孤独になりたい気分です。

最低限人とお会いして、そのあとはまっすぐお家に帰ろうかな。

素敵な人との出会い

人との出会いは一期一会。

 

その人が何を大切に生きているのか、それを知った時に気がつくことがたくさんある。

 

世の中には私が出会っていないだけで、まだまだ素敵な人がいるのだと思う。

 

狭い世界で生きないようになりたい。

 

自分がクレイジーだと人から思われたとしても、貫きたい信念を大切にしておこう。人がそこまでしなくていいよと言っても、私は人の苦しみや強さに寄り添おう!

 

一番大切なことは、苦しんでいる人や困っている人のためにできる限りのことをすること。なぜなら、私もそうして生きてきたから。

 

よし、ここから知識を増やしていこう。人を守ろう。

 

パートナーを持たない選択

色々考えた結果、もしパートナーがいたら、パートナーに迷惑をかける生活をすることになることに気がつきました。

 

そのことをようやく理解してきました。それほどの症状が出る可能性があり、パートナーがいたら頼らざるを得ないのです。

 

これから先も、人を好きになることがあるかもしれない。でも、その人の幸せを願おうと思いました。そして、私が幸せになるお手伝いができるなら全力でする。悩んでいたらいつでも話を聞くし、助けよう。

 

私が愛される価値がないとかではなくて、私が本当に人のことを愛しているなら、その人が私の病気によって苦しめられる場面を見たくないと強く思いました。

それほどの強い思いを抱くほど、好きになる人がいるのは幸せだから、人を好きになる気持ちを否定はしません。

 

こんな考えになれたということは、病気になったことをやっと受け入れてきたのかもしれません。やっと、病気になったことに感謝できるようになりました。それほどまでに人の人生も、自分の人生も、大切にしようと思えたなら、私は病気によって素晴らしい経験をしているのです。

 

悲しいことではなくて、そんなに温かな愛を自分が抱けることが幸せです。