はるかの日記

統合失調症の闘病日記。病気だけど明るく生きていく方法を模索中!

今まで受けてきた差別の背景

私の精神疾患が”寛解”になった途端、仕事も海外旅行も妊娠も出産も車の免許も、相談、許可や手続きが必要ない世界になりました。

しかし、昨日までは障がい者で、今日からは健常者という、この不思議な感覚は素直に喜べず。

私は昨日と今日で何も変わらないのに、この5年間の間に見て、聞いて、感じたことは、精神障がい者と健常者は決して”=”ではないということだったからです。

精神疾患の患者は、障がい者手帳を持っているかいないかに限らず、メディアが作り上げたイメージによって苦しむことがあります。

例えば...
”怖い”
“頭のおかしな人”
”人間ではない”
“危害を加えられるかもしれないから、近づかないで離れた方がいい”

目に見えない、わからない、経験したことのない現象だからこそ、世間がそういったイメージを持つのも無理はありません。

また犯罪者が精神鑑定をして、何らかの精神疾患であることはよく報道されるので、そのイメージは殊更に強調されているのかもしれませんね。

リンクを参照してもらいますと、資本主義の中で国が豊かに発展していくためには、優生思想によって精神障がい者が差別され人権もなく手術された時代があったのもたったの約60年前のことだとわかります。

精神障害者を一括りにして無意識に人々が身を構えてしまうのは仕方のないことです。

無意識で差別的な言葉を吐いてしまう人は知らないだけかもしれません。
”あなたが重い副作用で苦しんでいても、身体が動けなくなる日があっても、死にたくなるくらい絶望感を味わっていても、自分の薬を見つける旅の中でそれでも生きていることを”知らないだけ。

そして、私も知らなかった事実は...
先に自分自身を知ってもらえれば、精神疾患のイメージを気にしない人も世の中には沢山いるということ。生きていく上で、大きな知恵になることでしょう。

私の住んでいる北海道にはもちろん悲しい強制不妊の歴史もありますが、現代では私を人間だと認めてくれた人達がたくさんいます!

どうかそのイメージのせいで、皆さん自身の価値を決めることなく、自分の魅力を知りながら、社会で生きていく希望を持ち続けられますように!

 

https://www.wasedachronicle.org/articles/importance-of-life/d1/

 

何にも変わらない。

わたしのお医者さんは寛解と言ったけど、

実は私はなーんにも変わっていない。

 

相変わらず原因不明の熱は出すし、

聴覚は過敏で困るし、

私の頭の中はいつも哲学でいっぱい。

 

変わったことは薬を飲まなくなったこと。

身体の副作用はあまりなくなった。

薬を飲んでいないから、身体に起こる異常を薬のせいにしなくなった。

 

とっても楽だ。気楽だ。

そして、お医者さんが薬飲まないで大丈夫ならそれでいいって言ってくれると思っていなくて、予期せぬ幸運だった。

 

今まで飲んできた薬が身体から抜けるまで、あとどのくらいかかるんだろう?

教科書や添付文書に載っているのは計算上そうなっているだけ。ここから自分の身体を大切にするかしないか、その方法を決めるのは私自身。目に見えないからこそ、自分の感覚をちゃんと信じて、自分の体調に責任を持つこと。

 

頑張って生きろ。

寛解

2月6日、おそらく寛解です。

 

まだまだ身も心もバランスをとっていなければならないけど。

 

統合失調症って、予期せず寛解することがあるんだ。。。

ってぽかーんとしちゃって。

 

今日から障がい者。あなたは明日からは障がい者じゃありません。

という環境の変化についていけず。

 

駅では意気揚々と割引をしない乗車券を買ってみたりするものの、なんだかやっぱり腑に落ちない。

 

障がいってなんなのだろう?

個性という人もいるけれど、

私はまるで犯罪者のような扱いを受けたり笑

薬を飲まなければ人間じゃないと言われたり笑

経済的に助けてくれる彼氏や恋人がいてよかっだなと言われたり笑

 

まあたしかに、そんな風に見られるのが今の日本の”障がい”なのかもね。

 

皆、仕事に、生きることに必死だから。

自分を守るためには障がいを排除しようとするのは仕方ないのよ。

 

ただ、身をもって知ったこの出来事。

その中で励ましてくれる優しさにも出会う。

 

 

世の通説としては、

美しさは人を魅了するとされる。美しさは愛されるとされる。

 

自分の心の中の目で人を見ることのできるような人間でいつまでもありたいな。

 

そしたら、統合失調症にも美しさはあるのではないか?

だとしたら、統合失調症の美しさは?

あなたの思う美しさがありましたら、ぜひコメントで教えてください!

 

再考。

自分が統合失調症の患者として差別されて悔しかった時の思い。

そんな時に触れた優しい人たちが自分を守ってくれたこと。

 

そんなことを考えたら、こんなところで弱音を吐いてはいけないなと思った。

ちゃんと自分が証明しなくてはいけない。

もちろん、日本社会の常識を変えるのは自分だけではどうにもならない問題ではある。

 

なんのために、自分が人の幸せを考えすぎて恋愛できないのか?

→きっと障害者である自分が迷惑だと自分で感じているから。

 

同じような思いを抱えている人が何人いるのだろうか?

→今のツイッターのアカウントを見ていても、たくさん。もっともっと、人に問題を話せず困っている人がたくさんいるだろう。

 

資本主義の在り方としての疑問。

体調不良を理由に会社を休むことは生産性が落ちたということにつながってしまう。

人間が体調不良から回復したそのこと自体を喜んで、また一緒に働けることを喜ぶべきじゃない?

優しい言葉を使わないと、人の心は感情を失くしてしまうと思うわ。

たしかに、プライベートと仕事は切り離して考えるべきだけどね。単に労働力としてしか見なさないこの日本社会はおかしいし、精神疾患の患者は増えるばかりだと思う。

 

こればっかりは。

こればっかりは自分を信じるしかないわ。

いくら素敵な人を見つけても、自分に障害を上回る魅力があると証明しなければいけないのよね。

 

私の人生に関係のない色んな人が色んなことを言う。でも、目をつぶって、グッとこらえて、自分の直感を信じてみよう。自分がまだまだ障害を超えられるように証明しよう!

 

 

結局のところ。

私は結局のところ、障害者で、それは死ぬまで変わらないです。

 

そんな自分を愛したいという勇気のある男性はいるのでしょうか?

どうすれば、あなたと結婚して素敵なお母さんになりたいという夢に賛同してくださる人に会えるのでしょう?

 

結局自分はその枠組みでしか人から見られないのであれば、他にどんな枠組みの中に自分を落とし込む必要があるのだろう?

 

私はいい人の枠組みではいたくないわ。ただ、賢くて優しい人でいたい。

社会に出てみたところ。

社会に出てみたところ、この世は矛盾だらけでした。

 

他人に思いやりのある人はなかなかいないし、それが見せかけであることもあります。

 

人間が人間らしく入れる場所が社会ではないのさ。

 

それでも、それでも、生きていこう!

 

どうにかして、生きていかないとね。

 

何を言われてもいいから、生き続けること。