一歩間違えていたら、私は精神科に入院して、出てこられなかったかもしれない。
一歩間違えていたら、私は一生薬を飲んで、楽しく生きることを諦めていたかもしれない。
時代が遅かったり、早かったり、選んだ病院が違ったら、寛解には至らなかったかもしれない。
精神科に通院しながら考えていたのは、目の前の先生を笑わせようということでした。
薬をもらうことや症状を聞かれることは義務だと思っていたので、従順に従っていましたし、働くことを禁止されることにも従順でした。
禁止される期間が長くなるほどに、私の幻聴はひどくなっていきました。今思えば、人間が苦しい時幻聴は酷くなってしまう極限状態だったのかもしれません。
抜け出したいけれど、抜け出せない現実でした。
けれど、地元で新しいクリニックに行き始めてから、少しずつ意識が変化し、簡単なアルバイトを見つけ、自分が病気の人と気づかれない生活が始まりました。
不思議なことに、病気以外の自分を知ることができて、イキイキとし始めてから、どんどん幻聴はなくなっていきました。たまに空耳のような幻聴が多い時は本当に困りはてて、トイレで頓服を飲んだり、隠れて泣いたりしていました。人が怖くて、満員のバスに乗ることができず、遅れたことが何度もありました。
それでも、障害者雇用だったので、雇い続けてもらいました。
クリニックでも、私の生活を応援してくれました。
友人も、優しくありのままの私をみて、接してくれました。
寛解できたのは、時代のおかげ、優しい人たちに囲まれたおかげ、仕事のおかげ、家族のおかげ、たくさんの要因があると思います。
辛い期間のあとに待っていたのは、私の社会人経験の少なさとスキル不足でした。
今は少しずつ補うことに必死ですが、一歩ずつ一歩ずつ歩きましょう。
またいろんな人に出会えて、そして新たな段階に行ける気がします。
今なら、統合失調症ということに捉われなくてよかったのだと思えますが、当時は必死でもがいていました。
生きるのが楽しいって思える日が来るよ、と若く苦しんだ私に伝えたいです。
病気だと言われても、大丈夫!
病気の限界を解除して、進みなさい、と。
ネットの情報や世間の病気に対する意見や視線を気にしないで、ありのままの人でいなさい、と。
そして、もう心が疲れないように、社会のことや人間について、そして生きる喜びについて学びなさいと、今の自分にはそう言い聞かせます。