第二子を妊娠しました!
嬉しいことに、第二子を妊娠することができました。
介護で忙しかった予定が少し空くことになり、第一子の娘と3歳差のタイミングです。
ちょうど望んだ時に生まれてくれることになりました。
私自身兄弟にいつも助けられて、楽しい思いをしているので、兄弟がいる幸せはかけがえのないものだと思ってきたので、上の子もお腹の子も幸せに過ごせるといいなと願っています。
実は、妊娠直後からつわりが酷く、夫の全面的な家事育児の稼働とポジティブマインドに支えられて生きています。
夫の生活ぶりを観察していると...
①体力あり
②ストレスが溜まる前に自分で楽しめる
③育児が大好きで幸せを感じている
④あまり自分のことを責めない
⑤俺頑張ったー!と、自分を褒める
⑥自分の意見は主張する
→メンタルが安定している人のいいお手本かもしれません。私ももっと自分を褒めようかなと思うくらい、清々しい褒め方をしていました。
ちなみに、第一子の時には経験したことのない吐き気や気持ち悪さですが、それでも薬服用中の方がしんどかったです!
(薬の服用は、それだけ身体に負担がかかることなのでしょう。)
ここでも、昔副作用と付き合ってきた経験が生かされ、吐き気も「無理しなければ乗り越えられる!」と思うことができています。
まだつわりは続くのですが、夫と娘に感謝しながら、お腹の子の命を守ろうと思います。
お母さんはロングランなので、無理せず頑張っていきます!
手を抜いていこう!
若い頃、統合失調症と診断されてから寛解までの間は毎日頑張りすぎていました。
なぜなら「普通」の自分になれるようプレッシャーをかけて、手を抜かずに人の何倍も動かなきゃいけないと感じていたからです。
例えば、3食主菜副菜フルーツなどを手作りし、毎日買い物に出掛けていました。薬を飲んで疲れやすい身体だったのに、私の思う「普通」を実現することに必死で、夕方に疲れてしまう自分を責めていました。
ちなみに、子育て中の今は、疲れたら休むを繰り返して無理をしないようにしています。
「普通」という幻想を目指すより「自分の心や体調」に気づいた時点でケアをしながら生活し続けることの方が、結果として生活を持続できるからです。
もし若い頃の自分に会えるとしたら
無理しないで手抜きをしていいから、自分を責めないで生活を楽しんでね!
薬の副作用に耐えながら生きてるだけで偉いよ!
と、伝えたいです☺︎
理不尽さを乗り越える
寛解することはずっと目標の一つでしたが、
もっと本質を突き詰めると、
[1人の人間として自立して生活していくこと]
ができたら、服薬の有無に関わらず目標達成と捉えて自信を持っていいのではないかと思います。
なぜなら、その人の価値観や都合を自分の人生に持ち込むと、人生や生活が破綻してしまう恐れがあるからです。
例えば、私が若い時には、考える力があまりなくて、お医者さんの言う通りにして、自分を大切に出来ていませんでした。
現代の精神医学を信じきってしまっていました。
怖いもので、「あなたは病気ですよ」と言われたら、自分は病気なのだと思い、本当にそんな症状がでてきたり、自分は薬を飲まないと社会で生活していけない存在、「原罪」を背負った普通の人間とはかけ離れた存在だと思ったりしていました。
今振り返ると、病院に通院することを条件に交際していた当時のパートナーの価値観も、寛解を長引かせる要因でした。
このように、お医者さんの都合、パートナーの都合を優先して、自分を全く大切に出来ていませんでした。
私に知性があれば、お医者さんや当時のパートナーから早く離れることができたのかもしれませんが、若い私にはその選択肢が思いついていませんでした。
誰かの役に立つかもしれないので、その後の私が寛解や自立に向かっていく中で身につけた価値観をいくつか紹介させてください。
「自分で考えて行動していく知性をもつこと」
「自分を1人の大切な人間だと思って大切にすること」
「生活できる体力をつけること」
「大変な時は人に頼ること」
このような価値観で、少しずつ理不尽さを乗り越えていけば、人生も悪くないから楽しく生活していこう!と思うことができるようになりました。
人は自分の都合(メリット)によって生きており、社会はそんな人の集まりで成り立っていることを痛感します。
そんな世の中の理不尽さを乗り越えるのは、大変ですが、「大切な自分」を守り、育てていく気持ちで、多くの人が寛解や自立へと進めたら嬉しいです!
思い込みを直す
数年前は
自分は病気が治らない
一生薬と付き合っていく
薬を飲まないと人間ではない
と、本気で思い込んでいました。
今、服薬なしで育児をしていますが、
体調に気をつけたり、
パートナーの協力をお願いしたり、
など、健常者と変わらない生活ができている気がします!
そこで気づいたのは、健常者だって障害者だって落ち込む時ややる気の出ない時はあるということ。
そして、いきなり病気が治ったと言われて、性格がまるっきり変わるわけではないということ。
正直、昔は子供を持つなんて夢のようでした。
もし症状が出たらどうしよう...と考えることもあります。
そんなふうに悩んでいた時に、
旦那さんがそっと
「自分を病気だと思わないで。
大丈夫!できる!って諦めないんだよ。」
と、励ましてくれました。
病気の時は病気を理由にして色々なことを諦めていましたが、今は諦めないことを少しずつ学んでいます。
今順調に育っている我が子を見ると、これからきっとこの子は苦労も経験するだろうけど、ママができる限り大切にしたいなあ〜と愛おしく感じます。
苦しかった20代前半の通院から妊娠出産育児を通して学んだことは
"精神障害があるからといって、
自分の能力がないわけではない。
お医者さんの言葉が全てではない。
どれだけ体調が悪くても、良くなることもある。
体調が悪いからといって、自分の努力が不足しているとは限らない。"
"今後も、自分のできることを考えて生活を進めていく。"
困難があってもちゃんと前に進む!
冷静に考えても、
"精神障害"って誰かが作った概念でしかないんですよね。
そして、診断も、発展途上の精神医学だけの知識で判断するお医者さん!あくまでもお医者さんだって商売としてやっているわけです。診断はしてもらえますが、人生の責任まで取ってくれるわけがありません!
この当然の視点が当時の自分には欠けていたように思います。
精神障害として自分を見つめるのではなく、一度きりの人生を自分の長所を活かして、時々失敗しながら学んで、楽しんでいきたいです。
そして、他の人のことも病気と断定するのではなく、その人の魅力を見つめていける自分でありたいです。
最後になりますが、今苦しんでいる方たちが、今年希望を持っていけますように!願っています。
育児が楽しいです♪
気がつけば、あっという間に2023年になっていました!
今年も私は忙しくて幸せな育児を旦那さんと一緒に楽しんでいます。
昔はベッドから起き上がることすら辛い時もあったので、今毎日こうして生活できることが夢のようです!
きっと薬を飲んでいた頃は、ベッドから動けないくらい身体に負担がかかっていたのだと思います。
今は薬も飲んでいないし、かなり動けます。それに、育児疲れで倒れないように時々休むことも覚えたので、気持ちが楽です。
娘のおかげで、自分の体調を優先してうまく休める母にしてもらった気がします!
今年も、皆さんが健康に前向きに過ごせるように願っています!それでは、また!
寛解後の育児
慌ただしい毎日を送っており、ブログを更新できていませんでした。
寛解後の育児について記録として手短に遺しておきます。
体調について
精神科に通っていた時より格段に良い。
薬を飲んでいなかった時のはつらつとした体調の感覚を思い出してきた。
どんどん元気になる感覚がある。
薬の副作用がないので楽。
家事も育児もできる。
(完璧主義になると疲れるので、育児期間は最低限にして、完璧にしないようにしている)
子どもの状態について
元気なわんぱくベイビー。
問題なし。
主人の対応(支え)について
自分が今健康にいられるのは主人の存在が一番大きい。
主人は私の心や体の状態に引っ張られない人。
私が疲れて休みたい時は素直に話すようにしている。
話し合い、課題を一緒に解決できる人なので、生活がしやすい。
幻聴について
育児や寝不足で疲れても聞こえない。
意外としっかり休んでいるから聞こえないのかもしれない。
一度だけ目をつぶって、何かが見えそうになったが、主人から「見ないようにしな。」と助言あり、見ないようにした。
パニックについて
蟻が大量発生して叫んだ
以前なら精神科の先生に報告していたが、健常者でも虫が苦手な人は叫ぶので、自分が特段変わっているわけではないと思えるようになる。
人間関係について
自分が人の悲しみや怒りの影響を受けやすい性格なので、影響を受けないようにそういった場所に近づかないようにしている。
できるだけ明るいところにいようと。
一般的には悲しみや人の状況に寄り添うことは大切だが、自分がその人以上に悲しくなってしまい、体調を崩してしまう経験が何度かあるので、せめて育児期間はできるだけ避けて過ごそうと思う。
以上です。
寛解後、薬を飲まなくなった私が育児をできていると伝えることで、誰かの役に立てたら嬉しいです。
あくまでも、私の例なので、参考になるかはわかりませんし、保証もできないです。
ただ寝たきりが多く体調の優れなかった昔とは随分かけ離れた元気な生活を送ってみて気づいたのは、"自分の状態や環境が整った時に出産できた"という幸運も味方して、やっと人生が好転したのだと思います。
また時間を見つけてブログを更新しますね。
それでは、また!
「そういう人なのだ」という解決法
世の中色んな人がいて、それぞれの関係性があります。
「そういう人なのだ」、と、腑に落とすことにしたら、色々とうまくいくことに気がつきました。
相手との関係性、たとえば父親だったらこういうことをしてくれるだろうと期待する。ところが、そうはいかない。
そういう時は、「そういう人なのだ」と思ってみるとすっと楽になりました。
父母、兄弟、パートナー、祖父母、友人、関係性以前に「そういう人」というその人の人間性があるのだと思います。
それが自分にとって悪いものであっても、
「そういう人なのだ」と思うことで、現状を受け入れて、相手を傷つけず、適切な距離でいて、寛容になれる気がします。