はるかの日記

統合失調症の闘病日記。病気だけど明るく生きていく方法を模索中!

寛解後の育児

慌ただしい毎日を送っており、ブログを更新できていませんでした。

 

寛解後の育児について記録として手短に遺しておきます。

 

体調について

精神科に通っていた時より格段に良い。

薬を飲んでいなかった時のはつらつとした体調の感覚を思い出してきた。

どんどん元気になる感覚がある。

薬の副作用がないので楽。

家事も育児もできる。

(完璧主義になると疲れるので、育児期間は最低限にして、完璧にしないようにしている)

 

 

 

子どもの状態について

元気なわんぱくベイビー。

問題なし。

 

 

主人の対応(支え)について

自分が今健康にいられるのは主人の存在が一番大きい。

主人は私の心や体の状態に引っ張られない人。

私が疲れて休みたい時は素直に話すようにしている。

話し合い、課題を一緒に解決できる人なので、生活がしやすい。

 

幻聴について

育児や寝不足で疲れても聞こえない。

意外としっかり休んでいるから聞こえないのかもしれない。

一度だけ目をつぶって、何かが見えそうになったが、主人から「見ないようにしな。」と助言あり、見ないようにした。

 

パニックについて

蟻が大量発生して叫んだ

以前なら精神科の先生に報告していたが、健常者でも虫が苦手な人は叫ぶので、自分が特段変わっているわけではないと思えるようになる。

 

人間関係について

自分が人の悲しみや怒りの影響を受けやすい性格なので、影響を受けないようにそういった場所に近づかないようにしている。

できるだけ明るいところにいようと。

一般的には悲しみや人の状況に寄り添うことは大切だが、自分がその人以上に悲しくなってしまい、体調を崩してしまう経験が何度かあるので、せめて育児期間はできるだけ避けて過ごそうと思う。

 

以上です。

 

寛解後、薬を飲まなくなった私が育児をできていると伝えることで、誰かの役に立てたら嬉しいです。

あくまでも、私の例なので、参考になるかはわかりませんし、保証もできないです。

ただ寝たきりが多く体調の優れなかった昔とは随分かけ離れた元気な生活を送ってみて気づいたのは、"自分の状態や環境が整った時に出産できた"という幸運も味方して、やっと人生が好転したのだと思います。

 

また時間を見つけてブログを更新しますね。

 

それでは、また!

 

 

「そういう人なのだ」という解決法

世の中色んな人がいて、それぞれの関係性があります。

「そういう人なのだ」、と、腑に落とすことにしたら、色々とうまくいくことに気がつきました。

 

相手との関係性、たとえば父親だったらこういうことをしてくれるだろうと期待する。ところが、そうはいかない。

 

そういう時は、「そういう人なのだ」と思ってみるとすっと楽になりました。

 

父母、兄弟、パートナー、祖父母、友人、関係性以前に「そういう人」というその人の人間性があるのだと思います。

 

それが自分にとって悪いものであっても、

「そういう人なのだ」と思うことで、現状を受け入れて、相手を傷つけず、適切な距離でいて、寛容になれる気がします。

 

 

 

 

「かわいそう」は魔のことば

私の親友が「かわいそうという言葉が大嫌い!」だと昔話していました。

 

私は時々その言葉の真意を生活の中で実感します。

 

誰かをかわいそうというと

その人はどんどん不幸になり

自分をかわいそうというと

自分はどんどん不幸になる気がします。

 

だから、今後はこの言葉を言うのは心の中で留めようと気をつけてみます。

言われたときも惑わされないよう気をつけなきゃ!

 

振り返ると、精神科に行くたびに自分のことを「かわいそう」と思ってた時がありました。

 

このブログを読んでくれてる方で、通院中同じように考えてしまう方がいたら、「今は辛いけど、もしかしたらうまくいくかもしれない。」って思ってみてください。

 

少しでも多くの人が前に進めるよう願ってます!

 

 

 

境界を引くこと

寛解後の生活で、きちっと境界を引き、相手を理解することは社会生活を送る上で大切だとだんだんわかってきました。

 

苦手な上司や苦手な人。

この人はこういう人なんだなと知るだけで、どう対応したらいいか見えてきますよね。

 

相手と自分の心の中の違い。

価値観、固定概念。

 

Set the border.

 

自分の心を守るために必要な知恵です!

クリスマスの日に。

クリスマスの日が来ました。

娘がいてこんな幸せなクリスマスは二度と忘れないでしょう!

 

さて、若い自分の反省点を今日の自分へのクリスマスプレゼントとしましょう。

 

「診断が本当に合っているのか?」

 

この言葉を若い自分に伝えたいです。

 

若い頃の私は統合失調症と診断されると、就労移行支援施設への就労を勧められました。

それが治るに一番の近道だと信じきっていたので、通うことにしましたが、簡単すぎるその作業を続けながら30分おきに「大丈夫ですか?」と聞かれるのはとても苦痛でした。

 

障害だと間違って診断されることは、時に自分らしく生きていく権利をなくすことに繋がります。

 

ですから、診断に対して、患者はとても慎重に向かい合わなければいけません。

 

精神疾患の原因はストレスであることが多いです。

そのストレスは何かを考えて、次に同じことが起きた時どう解消するか、また対応するかを、自分の中で答えを出しておくことが根本的な解決策だと思います。

 

診断名というのは強力なラベルで、社会からそう見られると、その診断がついた病人として振る舞うようになってしまうことがあります。

 

今日はクリスマスです。

 

私と私の家族と友人と読んでくれた皆さんに

幸せに生きる権利があることを知れるように願います。

世界や社会を理解して前に進めますように。

 

産後の生活と家庭内の合理的な過ごし方

娘が生まれてからの生活は、幸せが続いています。

 

一応産後うつになりやすいかもしれないと思って、何人かの人に産後うつになったら話しに行きますと伝えていたものの、全くなりませんでした。

 

困っていることは、寝不足による思考力と判断力の低下、体力不足くらいです。

 

ですが...この症状は何度も経験があります。

寝不足がいかに大変なことか、身体が覚えています。

 

旦那さんと家族会議を開き、即家事の合理化を図りました。

 

産後の生活で、旦那さんの体力も極力削らない、かつ、旦那さんに休養の時間を取ってもらう方が、自分が疲れた時娘のために動いてもらえるので都合が良いとわかりました。

 

私自身は、家のゴミを捨て、家事の動線をスムーズにすることに努めました。

 

そして、

優先順位を

第一位 娘

第二位 睡眠(娘が寝ている時)

第三位 家事(娘のが起きて、泣いていない時)

第四位 仕事

にわかりやすくしました。

 

そして、旦那さんが帰ってきたあと、残っている家事を伝える。

その際、ネガティブな報告は旦那さんが疲れるのでしないこと。例えば、ネガティブな報告というのは、何時に具合が悪くなってたいへんだったなどの愚痴です。

 

シンプルな報告の目的は、家事を最速で、お願いして私が休むことです。

ネガティブな共有はお互い疲れるからやめようと話しました。

 

体力を増やすことは理想ですが、時間がかからので、現実的に可能な案を出し合い、お互いどう気持ちよく生活できるか話し合いました。

 

話し合うことで解決できることが多いので、話のできる旦那さんでよかったと思います!

 

未来に向けたポジティブな議論をして、娘が明るくいれる家にしてあげたいな。

 

過去の統合失調症と診断された時期の経験は、今とても生きて、無理をせず、知恵を使って倒れないように工夫することに繋がっています。

 

昔の自分も生きてくれて、ありがとう。

娘も生まれてくれてありがとう。

この世でたったひとつのかけがえのない美しい人生になりますように!

 

 

言葉の力

言葉の力は偉大。

お医者さんに「一生治らない、付き合っていく病気です。」と言われると、そんなような気がしてくる。

 

ネットで調べて、

こんな症状があるのか!

こんな経過があるのか!

と知ると、そんなような症状が出てきた気がしてきてしまう。

 

そう、言葉の力は強力。

 

また他の視点から見ると、それが病気でも何でもなかったりする。

 

〇〇の状況が苦手なので、こういうような反応が出ている→そしたら、次からこう考えよう!こう対処しよう!

 

これだけでよかったのかもしれない。

薬を飲む必要がなかったのかもしれない。

 

薬の副作用に苦しめられたのは、自分が弱かったのではない。薬が合わなかったのに、自分が気がついても主張でかなかったから。

そりゃ体は苦しいよ!ありがとう体。

 

失われた20代前半は戻ってこないけど、まだまだ前半で気が付けて良かったんじゃない?

 

病気にならなければ

出会わなかっただろう人たち

読まなかった本

働かなかっただろう職場

流さなかった涙と笑顔

見なかった光景

 

それも全て財産だよね。

私の体、これからも宜しくお願いします。

色んな薬、色んな光景に耐えてくれて、強くなってくれてありがとう!